【viviON CREATOR AWARD・鼎談】まだ名前のない表現は、人と出会うことで価値になる

こんにちは。GENSEKIマガジン編集部です。
自分の表現を何と呼べばいいのかわからない。アートを学んだ経験も、展示した経験もない。まだアイデアの段階で、人に見せてよいのか迷っている——。
そんな表現が、誰かに見つけられ、受け止められ、空間や鑑賞者と出会ったとき、初めて見えてくる価値があります。
株式会社viviONが開催する「viviON CREATOR AWARD」(以下、VCA)は、完成された作品だけを選ぶのではなく、個人の「好き」から生まれた、まだ名前のない表現を外へひらくためのアワードです。第1回は「偏愛」をテーマに、ジャンルや形式を問わず、展示空間で発表可能な作品または展示提案を募集しています。
今回は、VCA審査員で、美術家・アート事業家として「インターネット時代のアート」に向き合ってきた施井泰平氏と、空間づくりのプロフェッショナルである株式会社丹青社に所属し、アート・工芸作品のプラットフォーム「B-OWND」のプロデューサー/キュレーターの石上賢氏、VCAを立ち上げたviviONの生原優介が対話しました。
新しい表現は、どのように社会へ受け入れられていくのか。個人的な偏愛は、いつ作品になるのか。画面の中で生まれた表現を、リアルな空間へどうひらくのか。
応募を迷っている方にも届けたい、「表現と価値」「表現と場」をめぐる鼎談です。
登壇者プロフィール
施井泰平氏
美術家/スタートバーン株式会社代表取締役/東京大学生産技術研究所リサーチフェロー
「インターネット時代のアート」をテーマに制作・研究を続ける美術家。アート作品の信頼性担保と価値継承を支えるスタートバーン株式会社を立ち上げ、テクノロジーとアートをつなぐ仕組みづくりに取り組んでいます。アートメディア「Tokyo Art Beat」の運営や、「ムーンアートナイト下北沢」をはじめとする芸術祭の企画にも携わってきました。VCAでは審査員を務めます。
石上賢氏
株式会社丹青社 B-OWND プロデューサー/キュレーター
1992 年愛知県生まれ。画家の父と画商の母のもとで育ち、高校生からアート作品の販売に携わる。2019 年、丹青社にてアート・工芸×ブロックチェーンのプラットフォーム「B – OWND」を立ち上げ、プロデューサーとして戦略・企画を構想し、工芸の付加価値を高める活動を国内外で実施。2024 年、Forbes Japan が選出する世界を動かす文化起業家 30 人に選出。2026 年、ヴェネチアビエンナーレ公式サテライト展示 Re l at i ona l Log i c のキュレーター/プロデューサーを務める。
生原優介
株式会社viviON/viviON CREATOR AWARD責任者
漫画、ゲーム、音声をはじめとする多様なコンテンツに関わってきたviviONで、VCAを立ち上げました。クリエイターの表現が見つかり、人と出会い、その反応が次の創作へ返っていく場づくりを目指しています。
新しい表現は、いつも「制度の外」から現れる
——施井さんは、インターネットが社会や表現を大きく変えていく時代を見てこられました。まだ周囲に理解されていない表現や、既存のジャンルに収まらない表現を、どのように捉えていますか。
施井:
僕が大学を出てアートの世界に入った2000年頃は、インターネットの大きな流れが来ていた時期でした。当時は「インターネットに乗っているもの」「インターネット的なもの」は、ほとんどすべてが新しい表現だったように感じます。
最初は、面白さだけで飛びつく人たちがいる。まだ社会的な評価もなく、リスクもわからないけれど、とにかくやってみる。その後、少しずつ使う人や理解する人が増え、社会に受け入れられていく。コンテンツでもサービスでも、新しいものが広がるときには同じような流れがあると思います。

生原:
その広がり方は、ウェブサービスやコンテンツにも通じますね。最初は「これは何だろう」と思われていたものが、気づけば多くの人に使われ、新しい文化になっている。アートでも、当時は名前も価値も定まっていなかった表現が、後から大きな意味を持つことはありますか。
施井:
ありますね。例えばBeepleやCryptopunksのようなNFTやバスキア、バンクシーのようなストリートアートも、世界的に評価を受けているチームラボなんかも従来のアートの「制度」の外から出てきました。白いギャラリーに展示され、批評がつき、美術館やオークションへ進むという既存の仕組みとは違う場所から生まれたものが、今では歴史をつくっている。
この20〜30年で、社会も表現の形も大きく変わりました。最初は理解されなかったものが受け入れられ、身近にいた人が世界的に活動していく姿も見てきました。だから実感として、誰にでもチャンスがあると思っています。
——施井さんご自身も、インターネットがあったからこそ成立した表現に取り組んでこられたそうですね。
施井:
はい。以前、インターネット上で「究極に自由な自由律俳句」を集めるプロジェクトを行っていました。投稿された作品に毎月批評を書いていくと、表現のレベルがどんどん上がっていったんです。
最初は文字に色をつけたり、大きさを変えたり、回文にしたりするものだったのが、やがて文字ではないものや、よりコンセプチュアルでメタな表現も現れるようになりました。最終的には、そのプロジェクトを美術館で展示するところまで広がっていきました。
石上:
作品を自分一人でつくるだけではなく、多くの人から投稿を集め、批評し、そのプロジェクト自体をウェブで公開して、展覧会でも見せる。インターネットがなければ成立しなかった、当時まだ名前のない表現だったと思います。

生原:
アート作品なのか、ウェブサービスなのか、簡単には線を引けないところがとてもインターネット的ですね。viviONも、漫画やゲームなどの作品だけでなく、それをつくる人と楽しむ人が出会う仕組みそのものを育ててきました。既存のジャンル名に当てはまらないからこそ生まれる面白さは、VCAでも大切にしたいと思っています。
「偏愛」は、モチーフだけではなく、素材や方法にも宿る
——VCAの第1回テーマは「偏愛」です。施井さんは、この言葉にどのような表現の可能性を感じますか。
施井:
「偏愛をテーマに」と聞くと、自分が偏愛する対象をモチーフにすることを考えやすいと思います。でも、いろいろなクリエイターと会ってきて感じるのは、素材に対する偏愛や、アプローチに対する偏愛もあるということです。偏愛は、さまざまなレイヤーに宿り得ます。
アワードと聞くと、「絵が上手くなければいけないのでは」と思う人もいるかもしれません。けれど、今回求められているのは、人に合わせたものではなく、その人が本当に「いい」と思うものです。絵が下手でも、変でもいい。むしろ、変だからこそ説得力を持つこともあります。
そういう表現に出会うと、見る側もうれしいんです。「クリエイティブってすごい」と思わせてくれる。その意味で、「偏愛」はとても本質的なテーマだと感じています。
——施井さんご自身は、どのようなものに「偏愛」を感じますか。
施井:
僕は、コンセプチュアルなものが好きなんです。作品を見るときも、目の前にあるアウトプットだけではなく、「これはどういう人がつくったんだろう」と想像させるものに惹かれます。作品をきっかけに、その人や背景についていろいろと想像すること自体が、すごく好きなんだと思います。
石上:
ゴッホやピカソの作品も、作家のさまざまな背景をまとっているからこそ面白いところがありますよね。裏側を知れば知るほど、作品が立体的に見えてくる。
施井:
本当にそうですね。
石上:
僕は、これまで作品をどう届け、作り手がどう活動を続けていくかを考えてきたので、市場のニーズを意識する視点も持っています。ただ、ニーズばかりを見ていると、表現がこぢんまりしてしまうことがある。
一方で、自分の偏愛を徹底して、経済合理性を度外視してつくられたものが、結果として大きな価値を持つこともあります。最初から市場価値を目的にしたのではなく、偏愛そのものを目的にした表現が、逆説的に価値を生む。VCAがそれを長い時間をかけて示す場になったら、とても面白いと思います。
生原:
viviONが関わってきた同人、漫画、ゲームなどの世界にも、ありとあらゆる偏愛があります。「こんなに個人的なものを理解してくれる人はいないかもしれない」と思うような作品にも、外へ出すことで共鳴する人が現れる。その出会いを、僕たちは何度も見てきました。
VCAでも、最初からわかりやすく評価されるものだけではなく、その人のなかにある強い「好き」や、まだ説明しきれないアイデアを受け止めたいと考えています。
表現は、他者と出会うことで「作品」になる
——まだ価値やジャンルが定まっていない表現に「場」を用意するとき、空間はどのような役割を果たすのでしょうか。
石上:
空間は、コミュニケーションツールだと思っています。
「偏愛」は、誰に見られなくても描き続ける、作り続けるような、人の内側にある本能的な情動です。でも、空間が生まれると、そこには他者が介在します。誰かに見てもらい、コミュニケーションが起きたとき、初めて「作品」として完成する面があると思うんです。
一人でつくっているだけでは気づかなかったことが、見てもらうことでわかる。作り手がもっとやる気になることもあれば、ときには落ち込むこともあるかもしれない。それも含めて、お披露目の場を用意することには大きな意味があると思います。
生原:
viviONはこれまで、作り手と受け手が出会うデジタルの「場」を提供してきました。VCAでは、その接点をフィジカルな場所にも広げます。そこで生まれたコミュニケーションや新しい出会いが、また次の創作につながっていくことを楽しみにしています。
B-OWNDも、もともとはウェブ上のプラットフォームとして始まり、その後、リアルなギャラリーへと接点を広げてきました。

石上:
ウェブは、いつでもどこでも作品を見ることができて、とても便利です。一方、リアルな場では、直接話し、作品を自分の目で見ることで、まったく違う解像度のコミュニケーションが生まれます。
どちらが優れているということではなく、特性が違う。viviONがウェブで培ってきた場づくりとリアルな空間が掛け合わされることで、どんな相乗効果が生まれるのか楽しみです。
「誰がアーティストか」に、決まった答えはない
——美術教育を受けていない方や、普段はイラスト、漫画、ゲーム、CG、同人活動などを中心に制作している方が、「自分はアーティストではない」と応募をためらうことがあります。「誰がアーティストなのか」を、どう考えていますか。
施井:
本気で答えるなら、次のアートをつくるのは「今のアートをやっていない人」かもしれません。
先ほど言ったようにアート界にはキース・ヘリング、バスキア、バンクシーのように、従来の制度の外から現れたスーパースターが多くいます。新しい時代をつくる、新しい気づきを与える、人の感情を喚起する。そうしたものは、すでに「アートっぽい」と思われているものの外側にあるのではないでしょうか。
日本でいえば、その「外側」にあたるのが同人やサブカルチャーだと思います。僕はむしろ、ボトムアップで育ってきたこの領域こそ、日本のクリエイティブの本流だと考えています。ただ、世界中で知られている一方で、それを語る言葉や文脈、批評はまだ十分ではない。本来は日本が自分たちで価値づけていくべきものです。アートには、問いを立て、言語化し、歴史に位置づけていく働きがあります。同人やサブカルの勢いに、そうしたアートの視点が加わったときに何が生まれるのか。VCAにはその可能性を感じています。
だから、自分をアーティストだと思っていなくてもいい。「これまでと違うから良い」と感じる嗅覚を持ち、「出してみよう」と思える人こそ、今回求められている人だと思います。
石上:
美術史に残っているのは、アートの定義を変え、揺さぶってきたものです。印象派も、当時は批判的に「ただの印象ではないか」と言われたことが名前の由来になりました。最初は「こんなもの」と言われた表現が、後から歴史をつくることがあります。
施井:
むしろ、今の物差しでは「何だこれは」と言われるようなものに出会いたいですね。アートの世界自体が、次の才能や新しい表現を受け入れようとしている時期だとも感じます。

生原:
VCAは、すでにアートの世界で活動している方だけを対象にしたものではありません。普段は漫画やゲーム、イラスト、CG、同人活動などに取り組んでいて、自分を「アーティスト」と呼んだことがない方にも参加してほしいと思っています。
肩書きや活動領域よりも、そこにその人ならではの視点や「好き」があるかどうか。これまでの枠では捉えきれなかった表現と出会えることが、viviONがVCAを開催する意味の一つです。
デジタル作品を「展示向け」に矯正しない
——画面の中で生まれた表現を、リアルな空間へひらくとき、どのようなことが大切ですか。
石上:
デジタルのためにつくられた表現は、リアルな空間へ置いたときに見え方が変わります。近い距離で見ていたものを、遠くから見ることになるかもしれない。作り手が空間を意識することで、つくり方が変わることもあります。
同時に、作り手から空間をつくる側へ、「もっと高精細な機材を使ってほしい」といった要望もあるでしょう。正解は一つではなく、両者の対話からつくる必要があります。
B-OWNDのギャラリーでは、工芸作品がもともと置かれてきた日本家屋や茶室の暗さ、手に取って愛でる体験を考え、真っ白な展示台に強いスポットライトを当てる従来の展示とは異なる空間を試みました。作品の特性に合う「居場所」をつくりたかったからです。
デジタル表現も同じで、ホワイトキューブやモニターにそのまま置くことが、いつも最適とは限りません。デジタル表現をリアルで見せる最適解は、まだ見つかっていないように感じます。
施井:
デジタル作品は、モニターに映すことも、プリントすることもできます。プリントの質感を工夫する方法もある。でも、確かに「これが正解」というものは、まだありません。
最終的に鑑賞者は、作品だけではなく空間全体を見ます。作家が世界観からつくり上げる方法もあれば、空間づくりのパートナーに委ねる方法もある。いずれにしても、展示するところまで含めて体験になることは意識する必要があります。
石上:
作り手と場を提供する側が対話し、実験しながらつくらなければ、最適解にはたどり着けません。やってみて初めてわかることを一つずつ更新していく。そのプロセス自体が、一番クリエイティブなのかもしれません。
——応募時点で、空間の完成図が見えていなくてもよいのでしょうか。
石上:
もちろんです。作家のなかには、空間を緻密に設計したい人もいれば、見せ方を委ねてくれる人もいます。こちらで構成した空間を見て、「こんな見せ方があったのか」と喜んでもらえることもあります。
完成形を一人で持ってくる必要はありません。まず表現の核を届けてもらい、そこから一緒に考えることができます。
生原:
そこは、今回のVCAで僕たちも挑戦したいところです。viviONはこれまで、主にデジタルの場で作品が届く仕組みをつくってきました。今度は、作品の核を損なわずにリアルな空間へどう広げられるのかを、作り手や空間づくりのプロと一緒に探していきたい。
完成図が見えていないことを不安に思うより、「自分はこれを面白いと思っている」「ここだけは大切にしたい」という部分を届けていただけたら、そこから新しい見せ方を考えられると思います。
3つのタグは、作品の答えではなく入口
VCAでは、第1回テーマ「偏愛」のもと、「#ドット #ピクセル #解像度」「#癒し #回復 #救済」「#異世界転生 #ファンタジー」の3部門を設けています。
——この3つのタグを見たとき、どのような印象を持ちましたか。
施井:
「かなり尖った、濃いアワードだな」と思いました(笑)。ピクセルアートの審査や講師を経験したことがありますが、ピクセルアートは偏愛の巣窟という印象があります。24時間ずっとつくっているような人もいる。そこから、さらにどのように偏愛を深掘りした表現が現れるのか楽しみです。
ほかの2つは、僕にとって新しい出会いになると思っています。自分がよく知る領域だけでなく、これまで触れてこなかった解釈に出会えることにも期待しています。
石上:
「タグ」で展示を括ること自体が、とてもインターネット的で面白いと思います。タグは膨大な作品から自分が見たいものを選ぶためのキュレーションであり、そのタグを選ぶ行為自体も、一つの偏愛です。

3つのタグをまたぐ表現も出てくるかもしれません。「ピクセル」であり、「癒し」であり、「異世界転生」でもある作品があったら面白いですよね。タグは分類して閉じ込めるものではなく、解釈を広げ、越境するための入口にもなります。
生原:
言われてみると、タグを入口に作品と出会う考え方は、viviONがこれまで接してきたインターネット文化とも深くつながっています。同じタグを選んでも、そこから生まれる作品は一人ひとり違う。言葉どおりの正解を探すのではなく、自分の「好き」とどう結びつけるかを楽しんでほしいです。
答えがないからこそ、自分の感覚を貫く
——最後に、作品が完成していない、伝わるかわからない、評価されることが怖いと感じている方へ、メッセージをお願いします。
施井:
作品のクオリティを高めるうえで、「一貫性」はとても重要だと考えています。
きれいなものをつくるなら、細部まできれいであること。自分の偏愛を表すなら、関係のない視点を安易に混ぜず、その感覚を徹底すること。上手いかどうかではなく、自分が信じているものを細部まで貫き、自分のDNAを入れ込むことです。
今はAIによって、人類史のなかでも大きな変化が起きています。その時代に、人間として何を残すのかも表現のテーマになり得ます。これまで壊すことを続けてきた文化に対し、あえて何かを守ることが、新しい壊し方になるかもしれない。答えはありません。
だからこそ、自分が信じるものを徹底してほしいと思います。それが人の心を動かしたとき、次の展開が生まれます。
石上:
まず大切なのは、見つけてもらうことです。
ギャラリーを運営していると、ポートフォリオが毎週のように届きます。僕は、それがとてもうれしいんです。「届けてくれたんだ」と思いますし、実際に見て「面白い」と感じ、会いに行くこともあります。
ちょっとしたきっかけで、クリエイターの人生は大きく変わります。結果がどうなるかとは別に、まず一度、出してみてほしい。VCAには、作品を見てくれる審査員がいて、リアルな空間を含む、その先の可能性があります。
外へ出さなければ、出会えなかった人がいる。見つけられることから、表現の次の時間が始まります。
生原:
「こんなものを出しても伝わらないかもしれない」と思っている方にこそ、まず出してみてほしいです。作品を外へ出すことで、自分と同じところに心が動く人や、これまで想像していなかった受け取り方に出会えるかもしれません。
VCAでつくりたいのは、作品を選んで終わる場ではありません。表現が見つかり、人と出会い、その反応が次の創作へ返っていく流れです。受賞や展示だけでなく、応募するという一歩そのものが、次の活動につながるきっかけになればうれしいです。

まだ名前のない表現を、まず外へ
新しい表現は、最初から社会に理解されているとは限りません。既存の制度やジャンルの外側で生まれ、「何だこれは」と言われたものが、後から時代を象徴する表現になることがあります。
その出発点にあるのは、人に合わせた正解ではなく、自分が本当に「いい」と思うもの。モチーフ、素材、方法、集め方、見せ方——さまざまな場所に、その人だけの偏愛は宿ります。
そして、表現は外へ出ることで、作り手だけのものから、誰かとのコミュニケーションへ変わります。画面の中で生まれたものも、展示経験のない人のアイデアも、場や鑑賞者と出会うことで、新しい見え方や価値を持ち始めます。
VCAへの応募時点で、作品や展示の完成図がすべて見えている必要はありません。必要なのは、誰かの物差しに合わせて整えることではなく、自分がなぜそれをつくるのか、どこに心が動いているのか、その核を届けることです。
まだ名前がなくても、今ある言葉では説明しきれなくても構いません。
まず外へ出す。その一歩から、これまでになかった出会いが始まります。
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