自分の持っている専門知識を漫画に生かすには? 『瑠璃の宝石』渋谷圭一郎に聞く

漫画家の渋谷圭一郎先生は、理系の専門知識をモチーフにした『大科学少女』や『瑠璃の宝石』作品を作られています。

大科学少女
科学に興味のない主人公が入部したのは、「物理部」「化学部」「生物部」「地学部」が部員減少のために統合された「大科学部」だった。黒板消しの落とし方を研究したり、鳥の巣箱を作ったり、爆発物を作ったり。科学に関するさまざまな研究をしていく。

瑠璃の宝石
高校生の谷川瑠璃は雑貨屋で見つけた水晶のアクセサリーに一目ぼれしたが、お金がない。……でも、水晶って山で採れるらしい。そんなきっかけから水晶の採集へ。鉱物学を研究する荒砥凪に出会い鉱物の魅力に気づいていく。

ともすれば漫画のモチーフにはなりにくそうな理系の専門知識を、なぜ漫画にしようとしたのでしょうか。また、どのようにして複雑な内容を漫画というフォーマットに落とし込んでいるのでしょうか。お話をおうかがいしました。

お話を聞いた人


渋谷圭一郎(X:@Shibunoya
漫画家。代表作に『瑠璃の宝石』。同作は2025年7月にアニメ化された。

中学生のときから鉱物に興味を持ち、理科の先生に

――まず、渋谷先生のバックグラウンドを教えていただけますか?


渋谷
鉱物に興味を持ったのは中学生のときです。知り合いに鉱物即売会に連れて行ってもらったのがきっかけでした。

鉱物即売会の様子は、『瑠璃の宝石』6巻にも描かれている

高校に進学するときは、地学が勉強できる学校を選びました。地元ではひとつだけでしたね。大学も鉱物学研究室がある学校に進学して、鉱物の研究をしていました。

大学卒業後は中学校で理科の先生をしていました。大学生くらいのときから趣味で漫画を描いていて、現在では専業の漫画家として活動しています。


――漫画家としてデビューした経緯はどのようなものだったのでしょうか?


渋谷
もともと、イラストを描いていて、コミケに出していたりしたんです。参加を重ねるうちに段々と漫画を描くようになりました。

最初は4コマ漫画だったんですが、次第に出版社への持ち込みを意識して20~30ページくらいの読み切りストーリーものを作るようになりました。このときの漫画は理系の内容ではないですね。「ちょっといい話」……とでも言えばいいでしょうか。

そんな中、コミケで双葉社の編集さんに声をかけていただきました。月刊アクションを立ち上げるちょうど直前のタイミングで、うちで描いてみないか、と。そこで連載が始まったのが『大科学少女』で、これが初めての商業連載でした。

理系の知識が武器になるとは思わなかった

――『大科学少女』も『瑠璃の宝石』も理系の専門知識をモチーフにされていますよね。漫画を連載する上で、ご自身の得意なことを生かそうという意図があったのでしょうか?


渋谷
いろいろな方に「理系の専門知識が武器になっている」とは言われるのですが、それまで自分の知識が漫画に活用できるとはまったく思っていませんでした。

『大科学少女』で理系の知識をモチーフにしたのは、月刊アクションの編集さんのアドバイスからです。ある程度は知っているからこそ「これがエンタメになるのか?」と思いましたし、その道の専門家の目も気になります。だから、アドバイスをもらってもあまり気軽に「いいですね!」とは言いにくかったですね。


――『瑠璃の宝石』に関してはどうだったのでしょうか?


こちらもハルタの編集さんから地学の話をモチーフにしてはというアドバイスをいただきました。ただ、その結果考えたのが「日本で石を掘る」というストーリーです。読者の興味を引きつけるフックとしてはどうしても弱い。恋愛要素も、冒険の要素も、ファンタジー要素もありませんから。

こういった話が読者に受け入れられるかはわからず、正直なところ怖かったですね。編集さんにはげまされながらスタートできたという感じです。

専門知識はストーリーにきちんと絡ませる

――難しい理系の専門知識を読者に受け入れてもらうために、どういった工夫をしていますか?


渋谷
重要なのは、専門知識をストーリーにきちんと絡ませることです。石の説明が入るのだったら、その説明自体が漫画のコアになるようなストーリーを考える。

石の説明が他のものに置き換わったら、ストーリーが成り立たない、というふうにします。そうすれば、難しい専門知識を読まされているとか、お勉強させられているという感じには、なりにくいと思うんです。


――漫画の中に専門知識をどの程度盛り込むかも、難しそうです。


渋谷
よくやりがちな展開に、キャラが疑問にも思っていないことを、他のキャラがどんどん教えてしまうというものがあります。

僕自身もオタクなので非常にわかるのですが、オタクって、聞かれてもいないことを早口で説明してしまうのが、あるあるじゃないですか(笑)。自分はこういうのはやらないほうがいいと考えています。

『瑠璃の宝石』4巻より

たとえば、『瑠璃の宝石』で小さな流れ星(微小隕石)が地上の砂埃に混ざっている、というトピックがありました。微小隕石についてちゃんと説明しようとすると、天文学の話につながるんですが、そこまで踏み込まずにあくまでも「小さな流れ星」の話にとどめておきました。


――漫画の演出として、あえて事実とは違うことを描くこともあるのでしょうか?


渋谷
科学に関する知識について、事実と違うことは描かないよう気を付けています。『瑠璃の宝石』の副題は「INTRODUCTION TO MINERALOGY」(鉱物学入門)ですから、嘘は書けません。ただ、見つかる鉱物の規模や美しさについては、多少の漫画的な演出は入れています。第一にエンターテインメントなので。

キャラクターが発見したサファイアの結晶。『瑠璃の宝石』2巻より

――『瑠璃の宝石』ではキャラクター達が鉱物採集に出かけると、毎回何かしらの発見をしています。こうした展開は漫画ならではなのかな、と思っていましたが、実際はどうなのでしょうか?


渋谷
これは事実の通りです。鉱物採集って、事前に調査をして「採れそうなところ」に行くことが多いんです。すると、たいてい何かは見つかりますね。

自分も大学のときに採集に何度も行きましたが、何も採れなかったというのは経験したことがありません。……ただ、狙っているものが採れるかどうかは、また別の話ではあるんですが。

モチーフは地味でも、読者の体験はダイナミックに

――理系の知識がモチーフになることで、ともすれば画面が地味になってしまう可能性もあったと思います。画面作りで気をつけている点を教えてください。


渋谷
アクションシーンがあるわけでもないですからね。カメラの寄り、引きなどのアングルや、ページのめくり(見開きで最初に目に入るコマ)の演出などはていねいに作ろうという意識があります。

また、『瑠璃の宝石』の初期は見開きをビシッと決めるようにしていました。

瑠璃の宝石2巻より

――見開きだと、顕微鏡を見ている瑠璃と、顕微鏡の中の映像がひとつの画面に入っているシーンがありましたよね。非常に印象に残りました。


渋谷
現実にこういう構図はありえないわけで、漫画的な表現ですよね。この石は顕微鏡の中に映っているものではなく「キャラの頭の中に映っているもの」を描きました。キャラの感情が乗っていて、現実よりもきれいに見えるように描いています。


――確かに、キラキラしていますね。


渋谷
また、画面自体は地味でも、読者の頭の中で想像してもらうという工夫もしています。『瑠璃の宝石』2話では山で削れた石が、川に流されて特定のところに溜まるという説明があります。ひとつひとつは地味な画面です。

『瑠璃の宝石』1巻より

でも、石の動きを地球全体の動きとからめて話すことで、読者の中ではすごくダイナミックな動きに感じられると思うんです。実際、「その石がなぜここにあるのか」という過程は人類史よりもはるかに長い時間があるわけです。それを感じてもらえれば決して地味にはならない、と思っています。

知識があるからこそ、わかっているつもりになっているのが一番怖い

――『瑠璃の宝石』で取り上げるトピックはどのように選定しているのでしょうか?


渋谷
読者には、それぞれのタイミングで「これは『瑠璃の宝石』で見たな」って思ってもらいたくて、現実の世界でも出会いやすいものをできるだけ取り上げたいと思っています。

だから、原則的に日本で採れる石で、できるだけ有名な石を選ぶようにしています。話の序盤で、水晶、ガーネット、黄鉄鉱、砂金などが出てきますが、どれも有名で採りやすい石です。

『瑠璃の宝石』は主人公が水晶のアクセサリーに魅了されるところから始まる。
『瑠璃の宝石』1巻より

中盤でサファイア探しがテーマになりますが、あれも奈良県にモデルになっている場所があります。ただ、メジャーな鉱物は一通り扱ってきたので枯渇気味かもしれません(笑)。最近はマイナーなものも扱い出しました。


――トピックのリサーチはどのようにしているのでしょうか? 専門知識を持っていると、リサーチをしなくてもご自身の知識だけで完結できるようなこともあるのでしょうか?


渋谷
まず、自分の知識の中からトピックを出します。そして、そのトピックがちゃんと成立するかを、論文や書籍などできちんとリサーチします。専門知識があると一般の人よりもリサーチはうまくできます。闇雲に探すのではなく、だいたいこういう本に載っているとわかっているので、それほどは苦になりません。

都度リサーチを行うのは、わかったつもりになっているのが一番怖いからです。ちなみに、作中のキャラクターにも同じようなセリフを言わせていますね。

『瑠璃の宝石』2巻より

一般論として、専門家だって間違うことはよくあります。だから専門家ほど何か質問をされたときに断定や明言を避けたり、「後でちょっと調べてみます」なんて言いますよね。


――リサーチの結果、想定していたストーリーができない、ということもありますか?


渋谷
よくあります。「この石の特性を生かしたストーリーを作ろう」なんて考えていても、リサーチの結果、その石に思っていたような特性はなかった、とかですね。そのときはストーリーを全部作り直します。

鉱物というモチーフを語るためのキャラ設定

――『瑠璃の宝石』は理系の知識が印象に残る漫画ではありますが、キャラもかわいいですよね。どのようにキャラを設計しているのでしょうか?

主人公の谷川瑠璃。瑠璃の宝石7巻より

渋谷
谷川瑠璃は、何も悩みがない、明るい女の子のキャラにしました。そんな人が鉱物採集を楽しむというのがいいかなと。

マイナーな趣味一般に言えることだと思うんですが、いわゆる「逃げ」の理由からその道に入ることってあると思うんです。あくまでもひとつの例ですが、友達がうまくできないから石を集めに走る、とかですね。

ただ、こうすると「鉱物趣味は地味でマイナー」のような前提から入らなくてはいけなくなってしまいます。鉱物趣味の地位向上……という意図があったわけではないですが、それは避けたかったですね。


――確かに谷川瑠璃は、本当に鉱物採集を純粋に楽しんでいるだけですね。


渋谷
実は設定を考えるときに担当さんから「主人公は何か悩みがあって、それをきっかけに鉱物の世界に入るのはどうだろう」とか「鉱物採集をすることにより、その悩みを解消していったらいいんじゃないか」みたいなアイデアは出ていたんですよ。


――その展開もおもしろそうですね。


渋谷
でもこの作品において、それは違うのでは? と思ったんです。人生の悩みなんて関係なく、ただただ鉱物採集を楽しむのがいいのでは、と。ここが出発点ではありました。

主人公を導く存在、荒砥凪。瑠璃の宝石5巻より

――荒砥凪に関してはどうでしょうか?


渋谷
見ただけで印象に残るような工夫をいろいろしています。黒髪のロングヘアをストレートにしているとか、戦槌(中世ヨーロッパの武器)を持たせているとか……。そういった漫画的な演出ですね。

また、凪さんは学生離れした知識量を持っています。修士の院生という設定ではありますが、准教授レベルくらいはあるのではないでしょうか。これは、「この人がいると安心できる」という存在でいてほしいからです。鉱物採集をする時は自然の中に入っていく必要があるので、鉱物のおもしろさを感じてもらう前に、危なっかしさが先行してしまうと、元も子もなくなりますから。

「女の子」×「趣味」のフォーマットを利用しつつ、少し外す

――『大科学少女』も『瑠璃の宝石』も、どちらも女性のキャラが中心になっています。これには何か意図があるのでしょうか?


渋谷
「女の子」×「趣味」というフォーマットって、よくありますよね。自分自身もこういう漫画が好きでよく読みますし、このフォーマットは読者の間口が広いのが良い点だと思います。

ただ、多くの作品において、「趣味そのものの楽しさ」よりも「趣味を楽しんでいるキャラクターのかわいさ」を読者に伝えることが主眼になっている場合が多いと思います。

それはそれでおもしろいのですが、僕の漫画は、あえてその定石からちょっと外して「趣味そのものの楽しさ」を前面に押し出しています。だから、『瑠璃の宝石』ではキャラクターの日常回ってほとんどないんですよね。あくまで「鉱物採集」にガチの作品だぞ、と集中しました。これは他の作品との差別化という意味合いが強かったです。


――実際の反響はどうでしょうか?


渋谷
鉱物の話を楽しんでくれる人が意外と多くてうれしかったですね。
「いままで知らなかった石の世界に興味が湧きました」
「ちょっと雑貨屋さんに行って水晶を買ってみました」
みたいに。

他にも元々石好きな方や、博物館の学芸員さん、学校の先生などからも肯定的な反響をいただいています。そういった方々を真正面から受け止めるコンテンツがこれまでなかったのかもしれません。

水晶の描き方

――最後に、「漫画でよく出てくる鉱物の描き方」をひとつ教えていただけないかな、と思っています。


渋谷
漫画には水晶をモチーフにしているんだろうな、という結晶がよく出てきますよね。もちろん描き方やデフォルメの仕方はそれぞれだと思うんですが、「石マニアとしては、ちょっとな……」と思ってしまうことも多いんです(笑)。

今日は参考にしてもらおうと思って、水晶の実物を持ってきました。

渋谷先生の私物の水晶

天然の結晶の場合は、こんなふうに先端の角度がつく場所ってバラバラなんですね。ここを表現しているとリアルになります。漫画だと、削られた鉛筆のようにそろって表現されていることが多いのではないでしょうか。

――なるほど! 渋谷先生の漫画の中でも、水晶はリアルに表現されていますね。

紫水晶の結晶の形に注目。瑠璃の宝石7巻より

渋谷
実は、『瑠璃の宝石』の最初の方では僕もここを描く意識があまりなくて、序盤は実践できていません(笑)。すべての結晶をこういった描き方をするのは大変なので、目立つものだけをこのように描くのもいいと思います。


渋谷先生のお話を聞いて、一見すると難しそうな専門知識であっても、切り口と工夫次第で漫画そのものの魅力になることがよくわかりました。むしろ、かんたんには理解されないような得意分野を持っている人は、それが武器になるのかも……? と思えたほどです。自身の得意分野を創作に生かしたい方は、ぜひ参考にしてみてください。

企画・取材・執筆

斎藤充博GENSEKI/X:@3216Web

記事中で引用されている画像
『瑠璃の宝石』『大科学少女』(C)渋谷圭一郎/KADOKAWA

この記事を読んだ人におすすめの記事