2022年1月19日(水)、「週刊少年ジャンプ 約束のネバーランド」を作画された出水ぽすか先生がイラストレーター応援プラットフォームGENSEKIに公式サポーターとして就任しました。
そこで今回、公式サポーター就任を記念して、単独インタビューを実施。
イラストレーター・漫画家として現在第一線で活躍し、これまでも独自のクリエイティブを展開し続けてきた出水ぽすか先生。
少年コロコロコミックで漫画家としてキャリアをスタートさせ、バンダイホビー「ギアギアン」のイラストやてれびくんでの4コマ漫画連載、「魔王だゼッ!!オレカバトル」など、イラストレーター・漫画家として様々なプロジェクトに参画。
その後も、集英社『週刊少年ジャンプ』約束のネバーランドや、『少年ジャンプ+』ポピィの願いの作画を担当し、イラストレーター・漫画家として精力的に活動を展開。
同業者のみならず、幅広い年齢層の"一般人ファン"からも強烈な支持を集め続ける出水先生に、これまでの道のりや仕事の流儀、普段の素顔まで、たっぷり語って頂きました。
公式サポーター就任を決めたのは「運営の強い意志」が伝わったから
ー今回公式サポーターに就任された理由を教えてください。
出水先生 そうですね、イラストレーターの人が「イラストで食べていけない」という話は前々からしょっちゅう聞いていて、「そこを改善したい」っていう運営の方の強い意志が感じられたからです。
私もそれは同感なので、参加させていただく運びとなりました。
あとやっぱり、2021年6月から立ち上げられたサービスらしく、サイト自体が新しいため、見やすく綺麗に作られているところも良いなと感じました。
発注者がイラストレーターに依頼することを前提にした入力できる項目とかも作られていて、イラストレーターが発注者とやりとりする時に今後使いやすいサービスになっていくじゃないかなという期待もあったので、お引き受けしました。
ーGENSEKIというサービスの第1印象はどう感じましたか?
出水先生 無駄な項目が一切なく、サイト自体が分かりやすく綺麗といったところでしょうか。
これまでもポートフォリオサービスのような似たサービスはたくさんあったと思うんですけど、その中でも絵をきちんと描ける「プロ」を中心としたところも、他とは異なる感じでとても印象的でした。
登録しているユーザーさんのレベルがみんな高くて、企業の人も安心して依頼できるんじゃないかなと思います。
結局、まだ始まったばかりのサービスということで、運営の方が「これから作り上げていくぞ」という強い意志が感じられた部分が就任の決め手です。
「ここが使いにくい」とかそういう意見があったら、どんどん改善していけるようなチーム・サービスだと思うので、私も一緒に盛り上げていきたいと思います。
ー公式サポーターをお引き受けた頂けた理由はなんですか?
出水先生 タイミングは大きかったです。
どの仕事もそうなんですが、今ちょうど連載もなかったし、今の自分に何か役に立てることがあれば良いなと思ったところだったんです。ちょうどお声がけ頂いたのでとてもありがたかったです。
出水先生の素顔を深掘り
ー出身地はどちらでしょうか?
出水先生 出身は東京都内です。
ーペンネームの由来は何でしょうか。
出水先生 最初は児童向けの漫画家を志したので、子供が呼びやすい名前にしようと思いました。
デビューする以前にインターネット上でポ~ンという名前を使用していたことも元になっています。
昔演劇で演じた役も発想のもとになりました。
ー飼っているペットはいますか?
出水先生 ペットはいません。昔カメを飼ってましたけど、今は実家にいます。
でも確かに「猫飼ってますか?」とよく聞かれます。
猫は好きなんですけど、周りに猫を飼っている人がいなかったので、自分が飼っているのは想像ができないです。
ー出水先生はインドア派ですか?アウトドア派ですか?
出水先生 アウトドアな気がします。外出はよくするので。
旅行にもよく行くので、猫とかペットを飼うのは難しいかなと思います。
ーよく旅行に行かれるんですね。
出水先生 今はコロナで行けていないのですが、一人で海外に行って、色々写真撮ってくるのが趣味の一つです。
でも最後に行ったのがコロナ前の年末年始のタイだったんですけど、そこではタクシーにぼられました。
一向に私を降ろしてくれなかったです。
その前はポルトガルに行ったんですけど、治安いいって聞いてたのに、財布取られました。
ー結構海外旅行で痛い目を見ているんですね。
出水先生 そうです。気をつけなきゃなと思います。
一人でいくのは安全面とか考えるとあんまりよくないと思いますが、今のところは色々な経験が出来て良かったと思っています。
もしこれから一人旅に行きたいなあと思った方がいたら、財布を複数わけるとか、荷物に鍵を掛けるとか、ガイドをよく読んで安全に気を付けて楽しんでほしいです。
出水先生の代表作「約束のネバーランド」はどのようにして生まれたのか
ー約束のネバーランドを作画することになったきっかけを教えてください。
出水先生 ジャンプ編集部から急にメールがきたんです。
「ジャンプ編集部の〇〇です。作画してもらいたいものがあるのですが、一度来てもらえませんか?」と。
結果二つ返事でOKしました。この時は連載ではなく読み切り作品の打診といった形でした。
ージャンプ編集部とは当時から繋がりがあったのですか?
出水先生 まったく。以前のコロコロの頃の作品ではなく、SNSで私を見つけてくれたらしいです。その点で、当時からSNSをやってて本当によかったなと思います。
ー原作の方から指名があったのですか?
出水先生 はい。編集部と原作の白井カイウ先生が2年くらい作画の先生を探していたそうです。
私自身はその時、連載の終了時期が間近に迫っていた段階だったんです。
新しい作品に挑むには丁度良い時期だったので快諾しました。
連載を終えた後は別途自分の新作も検討しながら白井先生と短編の読み切り作品を作っていき、幸運にも白井先生との読み切りがかなりの好評を頂いたので、そこからいよいよ約束のネバーランド作りが始まった形になります。
ーあのジャンプでさえも作画さんを探すのに困っているんですね。
出水先生 私の作風は決してジャンプっぽくはないのですが、そこが逆に刺さったのかなって思っています。
やっぱりタイミングは重要なのかなって思います。
実際の声かけより3ヶ月前だったら、連載と被っていたので連絡自体を受けられなかったかもしれないし、3ヶ月後でももし次の連載が決まっていたら、出会う事が出来なかったと思います。
本当に次の仕事が決まってない時に連絡がきたので、とてもラッキーでした。
ーとはいえ仕事を惹きつける才能がすごいです。
出水先生 個人サイトやブログページなどを作り、TwitterやpixivなどのSNSにリンクを張って連絡を取りやすい場を用意していたのが功を奏したのだと思います。
ーSNSではただひたすら作品を上げ続けていたのですか?
出水先生 その頃はpixivをメインに作品を上げていて、Twitterはファンの子とのおしゃべりで使っていました。
pixiv以外にも、実際たくさんの色んなサービスに登録していました。
反応が多く貰えた所は楽しくて長く続け、反応が少なかった所は自然と足が遠のいて今の形に落ち着きました。
もし新しいSNSが出来たら今後も登録してみたいと思っています。
ーやはり約ネバの大ヒットで立場も変わられたかと思うのですが、依頼主さんからのアプローチや対応なども今までと違ったりするんですか?
出水先生 そんなに変わらないです。
ーお仕事のご依頼は増えたんじゃないですか?
出水先生 ご依頼の件数も変わらないです。むしろ減ったくらいです。
昔は「無償で絵を描いてください」とか「私の創作曲イラストを入れてください」といった小さい依頼がたくさんきてたんですけど、最近はそういうのが減って、きちんとした会社さんがご連絡をしてくれるようになりました。
ーこのように出水先生といったら約束のネバーランドですが、その他に特別思い入れのある作品は何かありますか?
出水先生 pixivで爆伸びした作品たちが印象深いです。とくに2012年の「さよなら世界」のイラスト(下記の作品)は、その後もパンフレットやMVなどに使用していただき、いろんな交流のきっかけにもなった印象深いイラストになりました。
後から分析すると、pixivのオリジナルランキングでイラストを取り上げて頂いたのと、投稿頻度が高かったというところがよかったのかなあと思います。
ーSNS以外に努力していたことはありますか?
出水先生 当時、児童向け漫画を描きたかったので、色んな編集部にとりあえず年賀状を送っていました。
実際この時既に小学館コロコロコミックには新人賞受賞後に所属していました。
子供の頃読んでいた小学〇年生に憧れがあり、同じ社内でもアクセスの仕方がわからなくて、それで年賀状を出してみました。
たまたま連絡をくれたのは「小学一年生」[てれびくん]の編集さんです。
実際にてれびくんに足を運んでみたら、ちょうど世代の近い新人社員さんがいて、その方と組んで、バンダイの「ギアギアン」という新しいおもちゃの4コマ漫画担当にしてもらえたんです。
その新人社員の方がアグレッシブな方で、色んな企画を提案してくれました。おもちゃの撮影に行ったり、4コマ漫画を描かせてもらったり。
しかも、すみっこにはなりますが、おもちゃのパッケージに絵を乗せてもらえたり、販促ポスターにしてもらえたりもしました。
このおもちゃのお仕事が自分の漫画家としての原点になっています。
お金ではない価値がそこにはあったので、当時はそれでもとても嬉しかったです。
てれびくんでのデビュー作(コミカライズ)も是非見て下さい!
— 出水ぽすか(ポ~ン)🦉🎃🦈 (@DemizuPosuka) January 11, 2019
ギアギアンです!!雑誌持っていたら割とレアだと思います! pic.twitter.com/kVOrutEJfX
ー子供の頃におもちゃを楽しんだ方や連載などを読んだ方から大人になって改めてご感想を頂くことはありますか?
出水先生 ありますあります。それは本当に私の生きる糧です。
私も子供の頃に好きだった漫画家さんは今でも大好きなので、そういうふうに大人になっても好きでいてくれるのはやっぱり嬉しいです。
「実はコロコロの時から読んでいます」だとか、私進研ゼミでも描いていた時があるので「進研ゼミからずっと読んでて・・・」みたいな。そういうコメントはすごく嬉しいです。
ー児童向けのコンテンツは今でも作りたいと思っていますか?
出水先生 ずっとやっていきたいです。
「漫画家になる前からよく絵を描いていました」
ー出水先生はいつ頃から絵を描き始めましたか?
出水先生 絵自体は幼少期からよく描いていたんですけれども、幼少期はクラスの中でもとくに上手いというわけではありませんでした。得意になったのは中学、実際に漫画を描き始めたのは高校生の頃です。
高校生の頃、本当にたまたまなのですが、部活の先輩が創作が好きで漫画部への兼部を勧めてくれたことに始まりそこで絵のうまい友達や先輩が沢山できて基本的な漫画の描き方などを知ることができました。
読む方ではなくて、オリジナルを描く方がメインの部です。
最初の漫画はたった5ページくらいだったのですが、
慣れないペンとなかなか気乗りがしなくて夏休みの1か月もかかった思い出があります!
「漫画って本当に大変なんだ…」と心底驚きました。
それでも周りの上手さに後押しされて漫画を描くのが楽しくなってきて、
高校の最後には、受験勉強をしながら描き進め、初めてジャンプに投稿したりするまでになりました。
この時は高校生賞みたいな賞で、担当などはつかなかったのですが受賞に足が震えたのを覚えてます。
その後はしばらくジャンプには投稿せず、教育系の大学に入ったことをきっかけに児童向けに応募しそちらで活動していくことになりました。
ただ教育系に入ってからもやっぱり美術系が諦めきれず結局中退して美術大学に入りなおして今に至ります。
美術を勉強できたのも作風につながるのではないでしょうか。
ーアシスタントの頃は具体的にどんなことをされてたんですか?
出水先生 大学が終わってからよく手伝いに行っていました。
それこそ背景描いたり線画描いたりっていうごく一般的な漫画作業って感じです。
ただ漫画家のアシスタントと同時並行でイラストレーターとしても活動をしていたので、そっちの方が稼ぎはよかったです。
ー幼少期からずっと絵を描いていたとのことですが、絵を描くことが嫌になった時期はありますか?
出水先生 ないです。
元々しゃべるのがとても苦手なので、その分絵を描いていました。「この絵を描きたくない」と思ったら、違う絵を描くというふうにしていたので、絵描きを嫌いになったことはないです。
休み時間とかは友達や先生の似顔絵を描いたりしていました。そう言った意味では、会話ではなく、絵でコミュニケーションできていました。
ー腰が痛くなるとか、アイデアが思いつかないなどで、絵を描くことが嫌になる、なんてことも聞いたことがあります。
出水先生 そうなんですね。
そういう意味では、健康でいられていることは本当にありがたいことです。
ー筋トレとかはされているんですか?
出水先生 定期的にジムに行っています。
家族が運動好きなので、体を動かすのは私も好きです。
ーイラストレーターさんから創作のアイデアが思いつかないという声を耳にしたことがありますが、出水さんはそんな時はありますか?
出水先生 仕事の場合は、なんとしても捻り出さなければならないので、多少嫌になることはありますが、趣味で絵を描いている場合は、出てこなかったら、それについて考えすぎるのはやめて、違う絵を描けば良いと考えています。
結構喫茶店とかで2時間何も思いつかない日もあるんですが、それはそれで、コーヒー美味かったし良いかなと思います。
ー出水先生でもそういうことがあるんですね。
出水先生 何も思い浮かばず、長時間ぼーっとしてしまう時ももちろんあります。
仕事で締切があったらプレッシャーで嫌になりますが、趣味絵は気軽に考えてます。
ー話は変わるのですが、海や船の絵をよく描かれていると思うのですが、何か思い入れはあるんですか?
出水先生 あーたしかに。そう言われてみればそうですね。
んー多分小さい頃に持っていた船のおもちゃのせいかもしれないです。
小さい船のおもちゃをずっと机の上に置いていました。旅行先のお土産屋さんで買ってもらったんだと思います。
あとこれは関係ないかもしれませんが、おじいちゃんおばあちゃんが海沿いに住んでいて、おじいちゃんが船乗りだったんですよ。物心ついた時には船乗りを引退していて、記憶はないのですが、よく海を見に行ったり、市場行ったりしていました。これも一つの要因かもしれません。
ー絵は全て独学ですか?
出水先生 大学と予備校で勉強していました。
幼少期からしょっちゅう絵は描いていましたが、漫画的な絵は友人と描いたり、大学に通いながらヘルプアシスタントとして学びました。家族に絵描きがいたわけではないので、幼少期は美術系に進むこともあまり考えていませんでした。
ーそうすると友達に触発されて絵描きになった部分が大きいんですか?
出水先生 それもあります。
あとは中学の時の文化祭でパンフレットの表紙を募集していて、幸運にも採用して貰った経験がありました。その時「私は絵がうまいかもしれない」とその後に繋がる自信が沸いてきました。
ー選ばれたことでワクワクして絵を描くきっかけに繋がった感じでしょうか?
出水先生 自信に繋がったんだと思います。
あとは交換漫画をよく友達と描いていました。
ーそこではどんな交換漫画をよく書かれていたんですか?
出水先生 ジャンプっぽい能力者同士のバトルみたいな漫画が好きでした。部活の仲間とダラダラ描いているのがすごく楽しかったです。
ー当時どんな作品が一番影響を受けましたか?
出水先生 そのとき盛り上がっていたのはシャーマンキングです。
やっぱり能力者同士がバトルする系は基本好きでした。
あとは映画だとX-MENもよく見てました。
ー約束のネバーランドで日本のみならず世界でもヒットしたじゃないですか。その時はやはりご両親からお祝いはしてもらいましたか?
出水先生 特にこれと言ってなくて、今でも変わらず、身体のことを心配されます。
ーご家族で約束のネバーランドなどの話はされるんですか?
出水先生 全然しないです。
ーそんな出水先生が今新人の頃に戻ったとして真っ先に何をしますか?
出水先生 編集者や業界人など、いろんな関係者の方と繋がることに力を入れるかもしれません。
「この仕事だけをずっとやっていこう」だとか「この人とだけ仕事をしていこう」となると、その仕事やその人と関係が悪くなったら、行き詰まってしまいます。
当時も3つ4つの編集部と繋がっていました。いろんな人と繋がっておくと、困った事が起きた時とかに、第三者に相談もできます。リスク分散は大事です。
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