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「番頭兼イラストレーター」から独立して画家へ。塩谷歩波の語る「独自のモチーフ」の見つけ方とは

こんにちは。ライターの斎藤充博です。みなさん、このように ↓ 銭湯を上から俯瞰したイラストを見たことはありませんでしょうか?

この絵を描いているのは塩谷歩波(えんやほなみ)さんです。塩谷さんはこうしたイラストを「銭湯図解」と名付け、これまでに70ほどの銭湯を描いてきました。

こうした塩谷さんの活動は話題になり、銭湯図解が本になったり、塩谷さん自身がTV番組『情熱大陸』に出演したり、さらには塩谷さんをモデルにしたドラマ『湯あがりスケッチ』が公開されたりしています。

塩谷さんは高円寺の銭湯・小杉湯に勤めながら、こうした活動を行っていました。しかし2021年6月に画家として独立してます。

今回は塩谷さんに

  • どうやって建物の絵を描いているか
  • 塩谷さんが絵を仕事にするようになった経緯
  • 塩谷さんのように独自のモチーフを見つけるには

を聞いてみました。

「本当は絵を描く仕事がしたいけれど、自信がない」なんて思っている方、必見の内容になっています!

お話を聞いた人

塩谷歩波

2016年より銭湯の内部を俯瞰で描く「銭湯図解」を始め話題に。設計事務所、高円寺の銭湯・小杉湯での勤務を経て、2022年5月に画家として独立。好きな水風呂の温度は16度。

ライター(絵も)

斎藤充博

ライターだけど絵やマンガも描く。僕も水風呂の温度は16度くらいが好きです。

「銭湯図解」の制作方法

斎藤
塩谷さんというと建物を斜め上から俯瞰した絵が印象的ですよね。これはどうやって描かれているんですか?

 

塩谷
まず自分で一度かんたんな設計図面を作っています。大学では建築学部で、新卒で入ったのは設計事務所なので、図面を引けるんですよ。

最近では架空の銭湯や建物などもよく描いていますが、こうしたものもゼロベースで設計して考えています。

斎藤
ということは……塩谷さんの描いている建物は、架空のものであっても、すべて実現可能なんですか?

 

塩谷
少なくとも模型では作成可能なものを目指しています。ただ、実際に建てられるかというと……。耐震性などは考えていないので。

 

斎藤
絵を描くのに耐震性という言葉が出てくると思わなかった……。すごい。

 

塩谷
建物を俯瞰で描く技法は「アイソメトリック」というものです。建築を学んだ人間なら、誰でもできるものです。私は大学1年生のときに描き方を学びました。

 

斎藤
実際にどんな手順なのかをざっくりと教えていただけますか?

塩谷
ざっくりと説明すると……。

まず図面を作ります。次にそれをちょっと斜めにひしゃげさせて、高さを入れていきます。これが「アイソメトリック」の技法ですね。

これを一度スキャンしてデジタルにします。そして、iPadのCLIP STUDIO PAINTで人などを描き込む。これを印刷して下描きが完成です。

この下描きをトレス台で本番の紙にペンでトレースして、線画を描きます。最後に水彩で色をつけていきます。

 

斎藤
すごい手間がかかっていますね。下描きを一部デジタルにしているのは、なぜですか?

 

塩谷
私の絵は細かすぎるんです。下描きの時点で修正を繰り返すと、グチャグチャになって、自分でも意味がわからなくなってしまうという……。修正をしていたら紙が破れたこともありました(笑)。デジタルは拡大と縮小が自由にできたり、レイヤーを使えたりするのも楽ですよね。

 

斎藤
なるほど……。それでは、完全にデジタルにしようと思ったことはありませんか?

 

塩谷
私は水彩が好きでずっと水彩でやっているから、仕上がりは変えたくないんです。それに、デジタルにも水彩風のブラシがありますけど、本物の水彩とは全然違いますよね。

 

斎藤
たしかに「水彩風」と「本物の水彩」では全然違いますよね。そして、いまや当たり前の話かもしれませんけど、絵を描くときに「デジタルかアナログか」みたいなことじゃないんですね。

 

塩谷
そうですね。単純にデジタルは画材の一つだと思います。制作の中で必要な場所に使えればいいという考えです。

建物と人の両方をメインで描いている

斎藤
さっき「アイソメトリックという技法は、建築を学んだ人間なら誰でもできる」とおっしゃっていました。でも、塩谷さんの絵には独特の雰囲気がありますよね。

 

塩谷
まず、私は建物が大好きなんです。

たとえば、一般の人が「人と建物」を見るとしたら「人がメインで、建物がサブ」というようになると思います。でも、建築をやっていた人間は、ちょっと物事の見え方が違っていて「建物がメインで、人がサブ」になってくるんです。

斎藤
建物と人の捉え方が真逆になるんですね。

 

塩谷
そうですね。私自身も建築をやっていたので、やっぱり基本的には「建物がメイン」という見方になります。ただ、ちょっと違うのは「建築は人がいて初めておもしろくなる」とも考えているんです。たとえば銭湯の中で人が気持ちよさそうにしている、ということも含めて建築じゃないでしょうか。

 

斎藤
すると「建物と人の両方がメイン」ということになりますかね。塩谷さんの絵を見ると、そんな感じがします。

 

塩谷
結果的に、建物と人が同じくらい融合した絵になっていると思います。

 

斎藤
なるほど……。そもそも、こうしたアイソメトリックを作品として描いている人は少ないですよね?

 

塩谷
少なくとも私は見たことがないですね。そもそも建築の中での絵は、アイデア出しの一部だったり、お客様に説明するための資料だったり「建築ができるまでの補助材料」でしかありません。重要なものではあるんですが、それ自体で価値があるとは思われていないんです。

 

斎藤
ああ……。そうなんですね。なんかもったいない気もするような……。

 

塩谷
でも、私は建築家が描く絵が大好きなんです。単に補助材料というだけでなく、部屋に飾られたり、ギャラリーに展示されたりする価値のあるものだと思っています。

 

絵を描くのは大好きだけど、仕事にできるなんて思っていなかった

斎藤
塩谷さんが絵を描く仕事をしたいと思ったのはいつ頃からですか? 

 

塩谷
小さなころから絵を描くのは大好きだったし、画家にもあこがれはあったんです。でも、自分にそういう仕事ができるとは思っていなくて……。ほら、人ってなんとなく「堅実に生きるべき」って思うじゃないですか?

 

斎藤
絵を描く仕事って、なんとなく堅実じゃないような気がしちゃいますよね。単なる先入観ですが。

 

塩谷
建築は「建築士」という国家資格があって、堅い仕事です。でも、壁には壁画があるし、立体なので彫刻的な意味合いもある。堅い仕事ではあるのと同時に「総合芸術」とも言われています。……おいしいじゃないか、これはやってみたいと。

 

斎藤
高校生くらいで「自分には才能があるから作家になる」とは、なかなか思えないし。合理的な考え方だと思います。

 

塩谷
ただ実際に大学に入ると、私がついていた先生がかなりの芸術家肌で、結果的に美大みたいなことをしていたかもしれません。デザインの授業の中で絵をたくさん描きました。絵の評価はよかったんです。

 

斎藤
自分の好きな絵を評価されたのはうれしかったですか?

 

塩谷
それが、全然うれしくなかったですね。絵は評価されてるけど、肝心のデザインは評価されない。成績もよくなくて「このままじゃずっと落ちこぼれだな」って思っていました。

もう悔しくて、誰よりも早く建築家として一人前になろうと、設計事務所に就職しました。建築を学んだ人間の就職先には、ゼネコンや建設会社などいろいろあるんですが、設計事務所には「建築家の先生の下で直接学べる」というメリットがあるんです。

 

斎藤
なるほど……。マンガ家志望の人がアシスタントになるとか、編集者志望の人が編プロに入るみたいな感じですかね? 現場での経験をいきなり積める、みたいな環境。

 

塩谷
多分、それに近いと思います。実際に建築事務所に入ってみたら、ものすごくやることが多くて、忙しくて。本当に大変でした。心の底から建築が好きな人だったら、こういう大変さも楽しいと思うんです。

でも、私は「落ちこぼれだったのが悔しいから誰よりも早く建築家になる」という不純な動機がありました。だから忙しさが辛くなってしまって……。結局1年半くらいで体調を崩して休職してしまいました。

 

斎藤
そこで、休職中にたまたま友達と行った銭湯を描いて、Twitterに上げたのが銭湯図解の始まりだった、と聞いたことがあります。

塩谷さんが初めて描いた「寿湯」

塩谷
そうです。最初に描いたのは、上野の寿湯でした。スケッチブックにマジックで一発描き。メモ程度のものでした。私のTwitterは、友達が見ているくらいのものだったんですが、このときは知らない人からも「いいね」がついてびっくりしました。見てくれる人がいるなら、もっと描いてみようと思ったんです。

いろいろな銭湯に行って、8枚くらい描いたところでWebメディアから掲載依頼がきました。このときには体調がものすごくよくなっていました。

 

斎藤
銭湯をめぐりつつ、自分の好きな絵を描くことで、体調を取り戻していった、と……。

 

塩谷
やっぱり自分が心から好きなことをしていると、体調がよくなります。そこで建築事務所に復職するんですが、やっぱり仕事は大変で以前のようには働けない。「もう建築業界で働けないのか」って、めちゃくちゃにへコんでしまいました。

小杉湯で「番頭兼イラストレーター」になる

斎藤
塩谷さんというと、高円寺の小杉湯の「番頭兼イラストレーター」というイメージを持っている人も多いと思います。小杉湯に転職したのは、このときでしょうか?

 

塩谷
そうです。そのときは週1で小杉湯に通っていて、何気なく「転職しようと思っている」と言ったら「じゃあ、ウチで働かない?」と言ってもらえたんです。小杉湯で働きながら個人で絵を描き続ければいい、と。

 

斎藤
すごいタイミング!

 

塩谷
……でも私は、ありがたい話なのに、ものすごく悩んでしまって。これまでの人生、建築にずっと費やしてきたのに、それをここで全部捨て去ってしまっていいのか? って思いましたね。もう、ギャンブルである程度突っ込んだ後に、引き返せない心境ってあるじゃないですか(笑)。たとえるなら、そんな感じでした。

 

斎藤
たしかに、建築から銭湯の運営って全然違う仕事ですよね。

 

塩谷
ただ、私が建築家になりたい動機は、コンプレックスから来る不純なものでした。それにやっぱり私は絵を描くことが好きで、描いていきたい。現時点ではこれが自分のやるべきことなんじゃないか、と思いました。

反響はあるけど「建築から銭湯への経歴がおもしろいから」だと思っていた

斎藤
塩谷さんが「番頭兼イラストレーター」になってからは、いろいろなメディアからの反響があったと思います。僕もいろいろ見ていました。

 

塩谷
銭湯図解は、書籍化のオファーが最終的には15社から来ました。それに、毎週なにかしらのメディアから取材が来るような感じでしたね。最初はWebメディアだったんですが、それが新聞になって、ラジオになって、テレビになって……。規模がどんどん大きくなっていく。

 

斎藤
とくに『情熱大陸』に出てるのは、すごいですよね。こういった反響に関してはどう受け止めていました? 

 

塩谷
やっぱり、建築から銭湯の現場に転職するっていう経歴がキャッチーですよね。みんなそれをおもしろがっていているから、注目されているのであって「私の絵はおまけ」だと思っていました。

斎藤
僕はライターなのでいつもいろいろな企画を立てていますが、たしかに「変わった経歴」ってわかりやすいし、企画として通りやすいというのはありますよね。ただ、単純に「変わった経歴」だけではここまで大きな反響はないはずです……。

そして、ここまでずっと「自信がない」状態ですよね……? それはいつごろから変わりましたか?

 

塩谷
『銭湯図解』を出版した翌年に、活動を広げようと思って、恐る恐るイラスト仕事の募集をしてみました。そうしたら、ものすごくたくさんのオファーがあったんです。銭湯に限らず、居酒屋の絵だったり、オフィスの絵だったり……。

そうした仕事を受けていき、お金をいただけるようになったときに「自分の絵には価値があるんだ」って思えるようになりました。

「番台兼イラストレーター」から画家へ

斎藤
塩谷さんは2021年6月に小杉湯を退職されて「画家」として独立されていますよね。

 

塩谷
自分の絵に価値がある、と思えたら、絵を描きたいという気持ちがどんどんふくらんでいったんです。正直、小杉湯で番台をしたり、売上を数えている時間も絵を描きたくなってしまって……。

斎藤
そもそも絵を描くのが好きだったわけで、自然な流れだと思います。

 

塩谷
でも、小杉湯に出会わなかったら、こういう状況になっていないはずなんですよね。「番頭兼イラストレーター」がきっかけで注目されたのに、恩を仇で返すみたいと思って。すごく悩んでいたんですが、そんなことを悩んでいること自体、すごく嫌だったんです。

 

斎藤
なんか、その気持ちもわかるような……。

 

塩谷
そこでまた、体調を崩してしまいました。私はどうやら気持ちと行動にズレが生じると、体調を崩してしまうようです……。結局、絵描きとして独立することに決めました。

 

斎藤
ちょっと気になるのですが、ここで塩谷さんは肩書きを「イラストレーター」から「画家」に変えられましたよね。これはどうしてですか?

 

塩谷
私のイメージですが、イラストというと、もっとかわいくて、いろいろなグッズなど、商業的に使えるような画風を指しているような気がしていて……。私の絵は、ちょっと重たい雰囲気があって「イラスト」というには、ちょっとあわないんじゃないかと思うようになってきました。

それから、私は絵を描いて、額をつけて、お客さまにお渡ししています。これも一般的なイラストレーターの働き方とは、ちょっと違うかもしれない、と思ったんです。

 

斎藤
たしかに、イラストレーターっぽくはないかもしれない……。

 

塩谷
イラストレーターは違うな、と思って「画家」にしたのですが、本当は画家のこともよくわかっていないので、これがあっているのかもわかりません(笑)。便宜上の画家です。

 

斎藤
いまは絵を描くことに集中できるわけですが、これまでと活動が変わったりはしましたか?

 

塩谷
これまでは依頼をいただいて建物の絵を描いてきました。いまでは、それだけにとどまらずに、私個人の作品をたくさん制作していきたいです。ちょうど2月に個展を行うので、それにむけて絵を描いています。

 

斎藤
いろいろと回り道があったけど、いまは自分の好きな絵を描けているわけですね。

 

塩谷
最初の方で「ゼロベースから建物を設計して絵を描いている」という話をしましたよね。学生の頃は自分に「センスがない」って思っていたんですが、いま設計して描いている建物を見てみると「意外といい設計できてるじゃん」って思えるんです。あのときに落ちこんででいた自分を、いまになって救っているような感覚ですね。

独自のモチーフを見つけるにはどうすればいい?

斎藤
塩谷さんの銭湯や、その他の建物のように「独自のモチーフ」を見つけられるようにするにはどうすればいいでしょうか?

 

塩谷
それは、やっぱり自分にしか描けない絵を考えることだと思います。

 

斎藤
自分にしか描けない絵か……。難しそう。

 

塩谷
私の場合は、建築をやっていて、銭湯のことが好きになって……という流れがあるので、こうなっています。流行りのものを取り入れるよりも、自分がいままでやってきたことを振り返ってみるといいんじゃないでしょうか。

 

斎藤
自分のやってきたこと……。僕の場合で言うと、指圧師とか……(唐突な属性追加で申し訳ないですが、僕は国家資格を持ったプロの指圧師でもあります)

塩谷
指圧師で絵を描いている人っていないですよね。斎藤さんの最大の強みって、それじゃないですか? 人間を見る目が人と違うのでは?

 

斎藤
それはあると思います。ただ、人体の精緻な絵が描けるわけでもないですからね、僕は……。う~ん。

 

塩谷
ただ、ものを見たときの着眼点が人と違うというのは、「独自のモチーフ」を見つける手がかりになるのではと思います。

 

斎藤
たしかに、塩谷さんは「建築をやっていた人間は、ちょっと物事の見え方が違う」って言っていましたよね。誰にでもそういうものって、あるのかも……?

 


 

絵を描くのは好きだけど、仕事にできるなんて思っていなかったという塩谷さん。しかし、建築や銭湯の仕事に携わりつつも、その間に絵を描くことを辞めていません。いろいろな形でそのときに描ける絵を描き続け、現在は画家になっているのです。

そんな描き続ける力も「独自のモチーフ」を見つけることにつながっているのかもしれない。話を聞き終わった後にそんなふうに思いました。

お話を聞いた人

塩谷歩波

Twitter:enya honami|塩谷 歩波

塩谷さんの個展が開催されます。
「ハウス(仮)」
日時:2023年2月21日〜26日
場所:イラストレーションギャラリー ルモンド
 
企画・取材・執筆:斎藤充博