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刑務所で受刑者にイラストを教えている人に「絵のうまくなり方」を聞いてみた

こんにちは。ライターの斎藤充博です。まずはこちらの「救急車の車内」の絵を見てください。

とても精緻に描かれていますよね……。ところで、この絵を描いたのは「刑務所に服役中の受刑者」です。

 

一般的に刑務所では、受刑者の更生のために「刑務作業」を行わせています。刑務作業には、炊事などの刑務所を運営するための作業や、刑務所の外で販売する物品の制作などがあります。

山口県にある刑務所、美祢社会復帰促進センターでは、こうした刑務作業として「マンガの背景制作」や「イラストカット制作」が行われているのです。「救急車の車内」の絵もその一環として描かれました。

 

受刑者に絵の指導をしているのは、渋谷巧さんです。渋谷さんは「苑場凌」のペンネームで活動するマンガ家でもあります。

今回は渋谷さんに

  • 受刑者が絵を描くようになった経緯
  • どのようにしてスキルがない受刑者に絵を指導しているのか
  • 数多くの受刑者に絵を指導した経験からの「絵の上達方法」

を聞いてみました。

 

現在はまったくスキルがないけど「絵を描いてみたい」なんて考えている人、必見です!

お話を聞いた人

渋谷巧
山口県美祢市出身。美祢社会復帰センターで受刑者にイラストの指導を行う。マンガ家としてのペンネームは「苑場凌」。代表作は『ずっこけバウワウ狂走曲』。また内田康夫の「浅見光彦」シリーズや「十津川警部」のコミカライズを数多く手がける。

ライター(絵も)

斎藤充博
ライターだけどがんばってマンガも描く。ただし、背景は苦手でほとんど描いていない……。

なぜ受刑者がマンガ背景やイラストカットを描くようになったのか

斎藤
受刑者が刑務作業としてマンガの背景やイラストを描いているというのは、珍しいですよね。どのような経緯でこうなったんでしょうか?

 

渋谷
中学校の同級生が以前から美祢社会復帰促進センターで「刑務作業として受刑者にWebサイトを作らせる仕事」を行っていました。その作業の一環として、Webサイトに掲載するためのオリジナルのイラストカットも受刑者に描かせていたんです。

 

斎藤
刑務作業としてWebサイトを作る、なんてあるんですね……。Webサイトは手順を追って行けば作れるのでしょうけど、イラストカットはなかなか難しそうです。

 

渋谷
その通りで、その中学の同級生も「イラストがどうもうまくいかない」と悩んでいました。そこでマンガ家である私に相談が来たんです。「一度受刑者の絵を見てくれないか」と。

そこで初めて刑務所に案内されて見学してみると、受刑者達がAdobeのIllustratorのパスを使って、本当にかんたんなイラストを描いていました。

 

斎藤
フリーハンドではなくて、パスで描いていたんですね。プロの目から見て、どうでしたか?

 

渋谷
彼らはイラストレーターではないので、もちろん商用のレベルには達していません。ただ「ひょっとすると指導したらある程度は描けるようになるかもしれないな」とも思ったんです。

 

斎藤
おお!

 

渋谷
いや、絵を描くのはは難しいことですからね。「やっぱり指導してもダメだった」となる可能性が高いとも思っていましたよ。それでも試しに2~3か月間指導をやってみようと思いました。

「イラスト指導? 何を言っているんだ? こいつ」という雰囲気

斎藤
実際に指導が始まって、どうでしたか?

 

渋谷
受刑者達の前で、イラストの指導を始めるという話をしたのですが「なに言っているんだ? こいつ」という感じでしたね。

彼らは私に対して反抗的な態度はとれないし、そうかんたんに「やりたくない」とも言えません(どうしても苦痛という場合は、刑務官に申し入れて別の刑務作業に交換してもらうこともできる)。ただ、彼らの目を見ると「やりたくない」ということが伝わってきました。

斎藤
こんなアウェイな状況で絵を教えるなんて、普通ないですよね……。指導はどんなところから始めたんでしょうか?

 

渋谷
まず準備としてマンガ制作ソフトや、ペンタブレットを用意してもらいました。そしてマンガ制作ソフト上の定規やパスを使って、写真のトレースを始めてもらいました。

トレースなら丁寧になぞればできるはず。それを見つつ、方針を考えようと思ったんです。ただ、やってもらったら……。クオリティはかなり低いものでした。

車庫に入ったベンツ2台を写真からトレースしたもの

斎藤
意外と難しいかもしれませんね。写真って、情報量が多い気もします。

 

渋谷
それは確かにそうなんです。ただ、問題はクオリティとは別のところにあります。

彼らはトレースを途中で止めたものを「完成」と言い張ったり、明らかにいい加減に描いているものを「ちゃんとできている」と言い張ったりするんです。素直に「どうやっていいかわかりません」や「うまくできません」と言うのなら、理解できるのですが。

こういった態度では、社会とうまく折り合いが付かないのでは、と思いました。

 

斎藤
なるほど……。

 

渋谷
逆に言うと、イラストを描いてもらうことで「根気」や「丁寧さ」や「素直さ」などを学べるかもと考えたんです。そうすれば、彼らの更生の役に立てる。ここで改めて「やってみよう」と思いました。

本格的にイラストの指導が始まると受刑者も真剣に

斎藤
ここから先は、どのように指導していったのでしょうか?

 

渋谷
写真ではなくて、イラストのトレースから始めてもらうことにしました。私のアシスタントが描いたトーンなど仕上げの処理をしていない線画を、トレースしてもらうんです。ただし、これも奇麗にトレースするには技術が要ります。

たとえば光源のあるときの線の強弱。光源に近いところの線は光で薄く飛びますし、影になるようなところの線は太くすると、線だけで立体感が出ます。

基本的には「マンガ家になりたい」といって、わたしのところにアシスタントに来る若い人と同じような指導の手順です。

イラストをトレースしたもの

その後に写真をトレースしたもの

渋谷
イラストのトレースを行ってもらった後に、写真をトレースしてもらったら、こんなふうになりました。


斎藤
おお~。この手順で、だんだん受刑者たちもうまくなってきたというわけですね。

 

渋谷
うまくなる人もいましたが、技術面にはかなり個人差がありましたね。それよりも驚いたのが彼らの態度です。最初は「なに言っているんだ? こいつ」という目つきだったのが、段々と真剣な表情になっていっているんです。

斎藤
絵を描くところから「根気」や「丁寧さ」や「素直さ」を学ぶ、というのはあっていたわけですね。

受刑者のイラストをマンガの背景にしてみる

渋谷
こうなってくると、次の段階として発表の場がほしいと思いました。このタイミングで出版社から内田康夫先生の小説「浅見光彦」シリーズのコミカライズの話がきたんです。それではこのマンガの背景を受刑者達に描いてもらおうと思う、と。

 

斎藤
実際に売られているマンガ本に受刑者の絵が……。すごい。

 

渋谷
やってもらうのは、引き続き写真のトレースです。とはいっても、もうちょっとレベルの高いこともやってもらいました。カケアミやトーンなどの処理や、一部フリーハンドの作画などです。

 

斎藤
背景を写真のトレースで制作するとなると、当然多くの写真素材が必要になりますよね。それを用意するのも大変だったんじゃないでしょうか。

 

渋谷
そのとき私が描いたのは浅見光彦の『汚れちまった道』という、美祢市が舞台になっている作品です。

受刑者の背景が実際に使われている
『浅見光彦ミステリースペシャル(23)』(実業之日本社)

渋谷
私は取材に行って、頭の中でネームを切りながら写真を撮影していました。おっしゃる通り、膨大な数にはなっています。

 

斎藤
中には撮影が不可能なアングルなどもありそうです。

 

渋谷
そうですね。写真が撮れないものや、どうしても難しい背景は私のアシスタントが描いています。それでも背景のおよそ8割を受刑者に描いてもらいました。

 

斎藤
実際の背景のクオリティはどうだったんでしょうか。

 

渋谷
多少は私の手直しが入りましたが、最終的には問題なく使えています。ある程度スキルを積んだ受刑者が他の受刑者に教えたり、トレースの中でも難しい場所とかんたんな場所をスキルに応じて割り振ったりしていました。

 

斎藤
作業が組織化されている……。

 

渋谷
ちなみに刑務所のパソコンはインターネットがつながっていないので、データをUSBメモリに入れてもらって刑務所から出して、それを外部のパソコンからインターネットで私のところに送ってもらっています。そういったやりとりを2週間に1度行う。そんな環境で受刑者達にフィードバックをしています。

 

斎藤
大変ですね。制作の管理はどうだったんでしょうか。コミカライズには締め切りがあると思いますが……。

 

渋谷
当時いたリーダーの受刑者がエクセルでスケジュール表を作って管理してくれました。その結果、当初のスケジュールよりも早く上がってきたくらいだったんです。私は「もうちょっとゆっくりでいいから、丁寧に進めて」なんて言っていた気がします。

 

斎藤
おお……。前代未聞の試みだと思うのですが、総じてうまくいったということですね。

 

渋谷
そう聞こえるかもしれませんが、実際はそんなこともないです。ちょっと複雑な場面を描かせようとすると「画像の二値化」でごまかそうとする受刑者もいました。

画像の二値化の例(斎藤が用意した画像です)

渋谷
線を引く参考にするために二値化を使うのならいいんですが、実際の背景に使おうとすると画面が汚くなってしまうんですよね。見つけ次第「二値化したものを送るのはやめてくれ」と返したんですが、それでもやっぱりちょいちょい使ってくる(笑)。

 

斎藤
(笑)。

 

渋谷
また、美祢社会復帰センターは、3年程度の刑期が短い受刑者が入っている施設なんです。「描けるようになってきたな」と思うと、出所になってしまったり。

 

斎藤
いいことではありますが、なかなか辛いものがありますね……。

 

渋谷
そう、いいことなんです。だから「残念」ではなくて、「おめでとう」と言っていました。主戦力級の受刑者が抜けるのは痛かったですが。

 

斎藤
ちなみに、出所した後にマンガ家になったり、イラストレーターになったした人は……?

 

渋谷
私が知る限りですが、いまのところいないようです。そもそも、私は彼らの社会復帰の役に立つためにこの仕事を行っているので、マンガ家やイラストレーターにしたいわけではありません。

ただ「印鑑職人」になった人がいます。刑務所で背景を描くことで「集中して細かい作業をするのが好きとわかった」そうです。

ここまで描けるようになる受刑者も。トレースとはいえすごい!!!

マンガ背景販売からイラストダウンロードサイトへ

斎藤
浅見光彦のマンガが完成した後は、どうなったのでしょうか。

 

渋谷
私のマンガの背景を描いてもらうだけじゃもったいないと思って、背景の販売を始めました。販売サイトも受刑者が作ったものです。

 

斎藤
受刑者の人達、いろいろできますね……。

 

渋谷
刑務所にはいろいろな人が来ますからね。プログラミングのスキルのある受刑者もいるんです。そうした人はやはり刑務所でもプログラミングをやりたくなるんでしょうね。

話を戻しまして、このマンガの背景はあまり売れなかったんです。格安であったんですが、有料だったのが伸び悩んだ原因かなと思いました。

 

斎藤
なかなか厳しいですね。

 

渋谷
そんなときに人間などを描くのがうまい受刑者が現れたんです。思い切って背景の販売は辞めて「いらすと本舗」というイラストのフリー素材サイトを作りました。ここにあるイラストの9割は受刑者が描いたものです。

「イラスト本舗」のトップページ

斎藤
いろいろなイラストがありますね。中にはかなり高度なイラストもあると感じました。

人体の構造を把握していないと描けないストレッチのイラスト
 

パースをとった背景の中にディフォルメされた人物がいるイラスト

ディフォルメされた人物を使った注意喚起のイラスト

精密なマンガ背景もたくさんある

渋谷
さっきも言ったように、受刑者は刑期が終わると出所するので、描いている人は常に入れ代わっているんです。そのために絵柄やテイストがどうしても安定しないのが悩みですね。もっとも、これは解決しようがないので、いろいろなバリエーションを楽しんでいただければと思っています。

スキルのない受刑者に絵を教えた経験から語る「絵の上達方法」4つ

斎藤
GENSEKIマガジンの読者はイラストレーターや、イラストレーターを目指している人です。これまでの経験から「絵の上達方法」を教えていただけませんでしょうか。

渋谷
まず、描き続けることが重要です。絵は描かないとすぐに下手になります。これは私でもそうです。極端なことを言うと、朝起きたら手の感覚がちょっと鈍っている、というようなこともありますから。

だから毎朝ちょっとしたクロッキーを描いてみる、とかどうでしょうかね。できればバストアップだけじゃなくて、全身描いてみる。慣れてきたら、ちょっと煽った構図で描いてみる、とか……。

 

斎藤
ちなみに受刑者の人達は、毎日絵を描いていたんでしょうか?

 

渋谷
刑務所は鉛筆の使用が禁止されているので、クロッキーなどはできません。でも、彼らは週に3日半、朝の8時半から夕方は4時くらいまで、決められた時間にソフトで背景を描いていました。毎日ではないですが、このように定期的に描いていたことも、彼らの上達につながったかもしれません。

渋谷
次に、受刑者にキャラクターなどを描いてもらうときは、まず「好きな人の絵を見て、まねしください」と指導していました。

ある程度それが描けるようになったら、今度は見ないで、思いうかべて描く。そうしていくうちに、絶対に個性が出てきます。

 

斎藤
まねるところから個性が生まれるというのは、逆説的ですが、わかる気がします。

渋谷
そして、受刑者の話とはあまり関係ないのですが……。絵の上達のためには、ぜひYouTubeで絵の描き方の動画を見てください。

 

斎藤
YouTube。ちょっと意外です。

 

渋谷
ある程度描ける人達には「YouTubeの動画なんていまさら見ないよ」なんて人もいっぱいいると思うんです。でも、いまは絵のプロが本当に役に立つ情報をあげてくれています。

そして、自分にはないスキルを他人が持っていることは当然あります。私は絵を描き始めて40年くらいは経っていますが、勉強になることはたくさんありますね。

渋谷
最後に「他人に絵を教える」というのも絵の勉強になります。教える以上は、自分ができないと話にならない。そして他人に教える過程で、自分自身の絵を見つめ直すことになるんです。

私も受刑者に教える過程で、よくない癖が付いていたことに気づきました。胸からお腹に続くラインとか、意外と雑だったな、なんて……。教え始めてから、私のデッサンもちょっとよくなりましたね。

 

斎藤
受刑者の絵がうまくなる話のインタビューをしていたつもりだったんですが、渋谷さんの絵がうまくなるという話にもたどり着つくとは……。ちょっと意外でした。

 


 

というわけで、受刑者にイラストを教えている渋谷巧さんでした。イラストのスキルがまったくない状態でも、一つ一つ段階を踏んでいけば、本に載るレベルの背景を作ることができるということがわかりました。

僕は背景全然描けないんですが、写真のトレースから始めれば、ちゃんと説得力のある背景を作れるのかも……?

 

渋谷さんに今後の展開を聞いてみたところ
「採算は厳しいですが、受刑者たちのために、なんとかこの事業を続けていきたいです。そのためには『いらすと本舗』がもっともっと使われるようになってほしいですね」
とのこと。今回の取材を受けてくれたのも、なんとか「いらすと本舗」の知名度を上げたいからだそう。

みなさんもフリー素材イラストを使って、受刑者達の社会復帰を応援してみませんか? 今回の記事で僕もがっつり使いました(背景素材はすべて「いらすと本舗」からのものです)! どうでしょう……?

お話を聞いた人

渋谷巧(苑場凌)
Web:いらすと本舗
Twitter:@youzenjyuku
企画・取材・執筆:斎藤充博