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医療系のイラストを作る「メディカルイラストレーター」ってどんな仕事?

こんにちは。ライターの斎藤充博です。みなさんは病院などで「人体の複雑な図が描かれているイラスト」を見たことはありませんか。

©LAIMAN

このような医療分野で使われるイラストを「メディカルイラスト」といいます。メディカルイラストを描くには、イラストのスキルだけではなく、体の仕組みに関する深い知識が必要になります。

それでは、メディカルイラストを描いているのはどんな人なのか。どのようなきっかけでメディカルイラストを描くようになったのか。体の知識はどの程度必要なのか。

メディカルイラスト制作会社のレーマンの代表にして、ご自身もメディカルイラストレーターであるTokcoさんにお話を聞いてみました!

お話を聞いた人

Tokco
獣医師の免許を取得後、医療機器開発の研究所に就職。専門性の高い分野こそコミュニケーションや学習にイラストが必要であると痛感し、2年間勤務の後にメディカルイラストレーターとして独立する。メディカルコンテンツ制作会社レーマン代表取締役。

ライター(絵も)

斎藤充博
ライターだけど絵やマンガも描く。常に新しい仕事のタネを探しているので、メディカルイラストレーターも気になっているが……。

斎藤
メディカルイラストって、病院などでよく見るイメージがあります。Tokcoさんも実際に病院などで使われているメディカルイラストを描いているんでしょうか?

 

Tokco
メディカルイラストが使われる場所は医療関係の論文、病院などの施設、医療・医学関係の出版物などですが、実は美容やスポーツ分野でも非常に重要です。

この中で一般の方が見るのは、病院などの施設にある掲示物やパンフレットでしょうか。私たちももちろんそういったイラストを描いています。

ただ、私の会社の仕事の割合として大きいのは医療関係の論文に使われるメディカルイラストです。メディカルイラストの中でも、もっとも難易度が高い分野です。

https://journals.lww.com/onsonline/Fulltext/2022/10000/Venous_Flow_Conversion_Technique_for_Sacrificing.13.aspx

https://onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1002/adhm.202201627

 

イラストがないと医療の専門家でも理解が難しい

斎藤
論文っていうと、文字ばかりのイメージがありました。イラストも使われているんですね?

 

Tokco
そうですね。論文といっても、文字だけで説明をしようとすると、あまりにも複雑で、理解が難しくなってしまうんです。

また論文は非常に専門的な内容です。医師や研究者でも、専門分野がちょっと違うと「読んでもさっぱりわからない」なんてことも起こってきます。

ひと目で論文の内容がわかるように、「グラフィカルアブストラクト」と呼ばれる図を作るのも私たちの役割です。

これは一般の方からは「インフォグラフィック」のようなものを想像してもらえると近いと思います。イラストだけでなくデザインの能力も必要なので、かなりハイレベルなお仕事です。

斎藤
「文字だけじゃなくてイラストがあるとわかりやすい」って、いろいろなところで言われていますが……。専門家の世界でも同じなんですね。

 

Tokco
その通りですね。さらに最近は、論文に使われているイラストの良さが研究者の評価に直接的につながるような世界的な風潮もあります。そのために論文もどんどんビジュアルリッチになってきていますね。

そこでいろいろな国が、メディカルイラストレーターの育成に力を入れるようになってきているんです。

ヨーロッパ、アメリカ、カナダは元々メディカルイラストレーターの育成が進んでいましたが、そこに中国や韓国などのアジア勢がすごくがんばり始めています。

力を入れている国では、医学部にメディカルイラストレーターのコースがあったり、イラストレーターが医学部生と同じ授業を受けたりするんです。残念ながら、日本はまだ遅れているという状況です。

 

斎藤
それは、たしかに日本では聞いたことないですね……!

 専門家とコミュニケーションしながらメディカルイラストは作られる

斎藤
メディカルイラストを描くのって、だいぶ難しそうな気がしてきました。メディカルイラストの制作はどんなふうに進めていくんでしょうか? 普通のイラストを作るときとの違いはなんですか?

 

Tokco
一番重要なのは、先生がメディカルイラストレーターに「何を描かせたいか」を把握することです。依頼をいただくとき、まず先生が手描きのラフを送ってくださることが多いのですが……。ラフはこういったものなんです。

斎藤
これは……。なにがなんだか、さっぱりわかりませんね。よく見ると「目玉」と書いてあるように見えます。

 

Tokco
確か、これは視神経(脳と目を繋ぐ神経)の手術に関する論文だったと思います。ラフを受け取った後に「結局、何を伝えたい図なのか」を詳しくヒアリングして、時には過去の専門的な論文を読んだりして、お互いのイメージの共有をしていきます。

 

斎藤
専門分野でのイメージ共有って、すごく難しそうに思えます。

Tokco
その通りで、イメージ共有のコミュニケーションにかなりの時間がかかります。実感としてはコミュニケーション8割、イラスト制作が2割、くらいのイメージです。

Tokco
たとえば、ある医療器具を使った手術のイラストを描くとします。私がラフを描いて確認してもらうと「この医療器具、もうちょっと開いてほしい」ということになる。再度ラフを出すと「ちょっとだけ違うなぁ」と……。

 

斎藤
大変ですね。ただ、正確に描かなくてはいけないだろうし、妥協はできませんよね。さらに先生達もイラストの発注には慣れていないはずだから、無理もないのかもしれませんが。

そして、「何を描かせたいか」が把握できた後はどうなるのでしょうか?

 

Tokco
内容が決まればIllustratorや、Photoshopを使って描いていきます。ここからは、通常のイラスト制作とそこまで大きな違いはないと思います。

 

斎藤
メディカルイラストレーターは、1か月間にどのくらいの量のイラストを描くのでしょう?

 

Tokco
論文に関して言うと、一つの論文につき3~4点くらいのメディカルイラストが必要になることが多いです。そして、一人では1か月に3~4本くらいの論文を担当するのが限界です。あわせると、1か月かけて9~16点ほどのイラストを描くということになりますね。

 

斎藤
雑誌などのイラストカットとは、まったく違いますね。やっぱりコミュニケーションのコストが大きくかかるのですね。

 

Tokco
そうですね。そこで最近、コミュニケーション時間の短縮を図るために、アプリ「MEDITOR®︎」を開発しました。アプリには、人体や、よく使われる医療器具が3Dで入っていて、あらゆる角度に動かすことができます。

©LAIMAN

 


©LAIMAN

Tokco
これを先生に使ってもらうことで、構図にある程度のアタリをつけていたただき、コミュニケーションの効率化にも繋がります。今後は短期間でかなりの数をこなせるようになると思っています。

メディカルイラストレーターになるために「獣医師」になる

斎藤
Tokcoさんはなぜメディカルイラストレーターになったのでしょうか?

 

Tokco
祖父が化学者だったんです。家には書斎があって、祖父が読んでいる化学の専門書には美しいイラストが添えられていました。私もそんな本を見るのが好きだったんです。

そして、父はカーデザイナーでした。小さい頃から絵の描き方を教わっていて「父のように専門的な絵を描く人になりたい」という思いが小さいころからありました。

私は動物が大好きだったので、獣医師になって、動物の絵を描くような仕事に就きたいと思ったんです。

 

斎藤
イラストレーターになるために獣医師になるって、すごい発想ですよね? 普通考えないと思います。

 

Tokco
そうですよね。実際に獣医学部で獣医師の資格を取って、就職活動のときに教授に「動物図鑑の絵を描くような仕事や、動物の専門的な絵を描く仕事に就きたい」と言ったんです。そうしたら教授からは「そんなの知らないよ」と言われてしまいました。

獣医師の資格を持っている人の就職先としては、ペットのクリニックや、食品衛生関連や、製薬会社、公務員などが多いです。教授もイラストレーターになる方法は全然知らなくて。そこでまず私は、医療機器開発の研究所に就職したんです。

 

斎藤
イラストレーターを志望しながらも、まずは会社員になった、と。研究所でのお仕事はどうでしたか?

 

Tokco
驚いたことがありました。外資系の企業で仕事をされている方は、すごいビジュアルブック(ここでは写真や図が豊富に掲載されている医療の専門書のこと)を持っているんですよ。それを使って、医師とコミュニケーションを取っているんですね。

それなのに、国内の企業は社員さんが手描きでイラストを描いて、医師とコミュニケーションをとっている。それではすごく伝わりにくいんです。

 

斎藤
医療機器開発の現場で、イラストへの意識の差を実感したのですね。

Tokco
研究所で2年間働いていたのですが、やはり「メディカルイラストを仕事にしたい」と思って、辞めることにしました。

Tokco
研究者が突然「イラストレーターになりたいから会社を辞めます」と言い出したんです。周囲からしたらまったく意味不明ですよね(笑)。社長も驚いていました。職場環境は最高だったので、辞める時は後ろ髪を引かれました。

専門学校でデジタルツールのスキルを身につけ、本格的に仕事を得る

斎藤
イラストレーターになると決意されたわけですが、まだイラストのスキルはありませんよね。それはどうやって身につけたんですか?

 

Tokco
イラスト制作やデッサン力はもともとある程度は身についていたのですが、今の時代、デジタルツールも使いこなせないとプロとしての活動は難しいため、グラフィック系の専門学校であるデジタルハリウッドに入学しました。そこでPhotoshopや、Illustratorの使い方を覚えていきました。

 

斎藤
メディカルイラストレーターとしての最初の仕事はどんなものだったのでしょうか?

 

Tokco
最初の仕事は知りあいの医師から依頼されたものでしたね。冒頭で少し説明した「グラフィカルアブストラクト」でした。

 

斎藤
そこからどのようにして仕事を増やしていったのでしょうか?

 

Tokco
営業活動としては、チラシを何千通も作って送ったりしましね。ただ、これはほとんど効果がなくて……。結局のところ、医師から医師への口コミで広がっていった方が早かったです。自然と仕事は増えてはいきました。

以前はなかなか認められなかったメディカルイラストレーターの仕事

斎藤
いろいろなイラストレーターさんのお話を聞くと「まとまった収入を得られるようになるまでは、バイトをしていた」なんてお話もあります。自然と仕事が増えたということは、その点ではあまり大変ではなかったですか?

 

Tokco
私はメディカルイラストレーターになってから、15年経っていますが、それでも最初の10年間くらいはずっと大変でした。それこそ泥水をすすって生きてきたしここまで生き残ってきたのは奇跡だ、という実感があります。

斎藤
どういうことでしょうか? 口コミで仕事は増えていったんですよね……?

 

Tokco
大変だった理由をストレートに言うと「手間に見合った料金がなかなかいただけなかった」からです。イラストレーターって、どうしても立場が弱くなってしまうんですね。専門的な仕事をしてもなかなか評価してもらえない。

 

斎藤
先ほど伺った制作の手間を考えると、安い料金では見合わないですね。

 

Tokco
そこで、手間に見合わない発注は、きっぱりと断ることにしました。そうすることで、自分たちのブランドをはっきりと主張しなくてはいけなかったんです。

 

斎藤
Tokcoさんは獣医師の資格を持っていますよね。メディカルイラストレーターを辞めて獣医師になろうとか、もう一度就職しようという気にはならなかったんでしょうか?

 

Tokco
こんなに専門性が高く、需要もある仕事なのに「なぜメディカルイラストレーターは日本では評価されないんだろう?」という興味が抑えられなくなってきてしまったんです。自分が実践することで、その理由を知りたかった。執着のようなものがありました。

最近では日本でのメディカルイラストレーターの地位も徐々に認められるようになってきました。さらに序盤でお話しした海外の追い上げのプレッシャーもあり、環境は変わってきています。そういった意味では、いまからメディカルイラストレーターを目指す人はラッキーだと思います。

人体の美しさをみんなに知ってほしい

斎藤
メディカルイラストを作成していて、楽しいことはありますか?

 

Tokco
人体や臓器って、有機的なカーブがあって、それはすごくかっこいいんです。そういったものを描くのは楽しいです。

 

斎藤
描いていて特に楽しい臓器があったり……?

 

Tokco
心臓は好きですね。心臓から出てくる一番太い血管を「大動脈」といいます。これは心臓の上から出て、急カーブを作って体の下の方に降りていくんです。この曲線はかっこいい。

Tokco
それから肺も好きです。肺には、気管から非常に細かく枝分かれした気管支が張り巡らされていて、それがすごくきれいなんです。気管支って、本当にチューブみたいになっていて、真っ白なんですよ。

 

斎藤
気管支って、白いんですね。勝手にピンク色みたいな感じかと思っていましたが……。

 

Tokco
人体や臓器って一般の人からすると「グロい」というイメージもあると思うんです。でも、みんなに知ってほしいですね。色、形、そして、そのかっこよさを。一般の人が体について知ることは、健康管理にもつながります。

そして、メディカルイラストがもっと一般の人にとって身近なものになれば、人体に興味を持つ人が増えるかもしれません。社会意義も非常に高い仕事だと思います。

メディカルイラストレーターを目指すには

斎藤
ここまでのお話を読んで、メディカルイラストレーターに興味を持った人もいると思います。ただ、なるのはなかなか難しそうという印象を受けました。

 

Tokco
高度な仕事ではあるのですが、適性があれば必ずなれると思うんです。現在、やっとのことで環境が整ってきているので、入りやすくはなっています。

斎藤
どんな人が向いているでしょうか?

 

Tokco
まず、科学、人体、生き物に興味がある人が一番ですね。そして自ら調べることが好きな人がいいと思います。オタク気質な方はウェルカムです。

斎藤
医療関係のバックグラウンドは必要でしょうか?

 

Tokco
医療関係者である必要はありません。うちの会社の中でも、医療関係出身でない人は多く働いています。ただ、理系のバックグラウンドがあると、基礎的な知識の理解が進みやすいと思います。プロとして活躍できるようになるまでもきっと早いでしょう。

 

斎藤
イラストのバックグラウンドについてはどうでしょう? 美大や芸大出身の方は有利ですか?

 

Tokco
絵はうまいに越したことはないのですが「自己表現」としてイラストを描いている人にはちょっと厳しいかもしれません。

 

斎藤
どういうことでしょうか?

 

Tokco
メディカルイラストはアートではなくて、あくまでも「説明図」です。そのために、描いたイラストにかなりの修正が入ることもあります。そのときに人間性を否定されたように感じてショックを受けてしまう人もいますよね。そういった方には向いていないかもしれません。

また、最近では複数人で分担をしながらメディカルイラストを作っていくこともあります。チームワークで作業ができる人も向いていると思います。

 

斎藤
チームで作るという点も自己表現からはかけ離れていますね。メディカルイラストは、あくまでも「伝えるため」の実用的なイラストであるということがよくわかりました。

 


 

というわけで、メディカルイラストレーターのTokcoさんのお話しでした。実は僕は指圧師の国家資格を持っていて、人体の解剖学や生理学については、普通の人よりもずっと馴染みがあります。今日の取材に臨む際に「僕にもメディカルイラストレーターの可能性があるかも……?」という下心もちょっとありました。

しかし、お話を聞いてみるとかなり専門的な仕事で、体の知識がちょっとあるくらいでは太刀打ちできそうにもないですね。

Tokcoさんも「医療のバックグラウンドは必ずしも必要ではない」とおっしゃっていましたが、それは新たに覚えなくてはいけないことがとても多いからでしょう。

そして、話を聞いていて、印象に残ったことがあります。それはTokcoさんのメディカルイラストにかける熱い思いです。こういった人達の努力で、日本の医療が進んで行くのだと思うと、本当にありがたい気持ちになりますね……。Tokcoさん、ありがとうございました!

取材協力

株式会社レーマン

Web:メディカルイラストの株式会社レーマン
Web:MEDITOR®︎(準備中)
企画・取材・執筆:斎藤充博